英語について

高校時代の英語日記を恥ずかし公開

日記を書くのは、様々なメリットがある。 自分と向き合える。気持ちが整理される。後々見返せる。 それが英語なら…!英語が(たぶん)うまくなる! カナダに交換留学していたとき、1年間英語日記をつけていた。誰に言われたわけでもなく、英語を伸ばすためにはどうしたらいいかって、今の半分しか生きていなかった当時の私は必死に考えたに違いない。だけど、その1年やり続けた英語日記は今の私の英語コーチングの軸にもなっている。17年前の私、意外といい線いってたのか。 折角だったらすてきな日記帳につければ良かったのに、人生で唯一使いきったその日記帳はスーパーにどこでも売っている、日本だと考えられないペラペラの紙質の、全然かわいくない白黒のまだらの表紙のノートでした。 いわゆる国語の授業である、Englishの担当先生だったMrsタルボットは、赤毛くるくるで、小さい丸い眼鏡が鷲鼻にのってて、顔は四角くて、ちょっと怖め。(そのまま映画にでてきそうな感じ) その先生に、たぶん前の日から何度も唱えて練習した「日記を添削してください」という英語フレーズと日記帳を抱きしめ、授業の後に5年分くらいの勇気をかき集めて話しかけに行ったんだった。(もう英語を口から発するってことが、毎回ヌリカベみたいにたちはだかってた最初の頃) Mrsタルボットは嫌な顔一つせず、それから留学が終わるまで、毎日毎日日記を添削してくれた。 その日記はこちら!↓↓↓(あーーーはずかしい!) 私が恥ずかしいだけで、需要全然ないと思うけど「コーチ語ってるけどこんなミスしてたんだフフ」って赤ペン入れられるところでも読んで楽しんでください…笑 内容はほんと、超赤裸々で今思えばMrsタルボットよく内容スルーしてくれたと思う。私だったら内容についてコメントしてしまいそうなところ。 真剣に英語だけ見てくれて、そういうクールな先生だった。 厳しさの中にやさしさがあった。 内容といえば、もう一人いた交換留学生が英語ペラペラで羨ましいし私は出来ないし嫉妬で狂いそうだー、とか、遠距離の彼氏が音沙汰なくなってしまったー、とか、ホストが厳しすぎてやだーとか、くらーい日記も多かった。そして最初はホームシックで死にそうだったから、一日の気分の浮き沈みを棒グラフにしたりもしてた… もう日記だけが親友だった当時。 でも、留学半年も過ぎるころには、もう溢れる気持ちを書きなぐれるくらい英語で考えられる脳になっていたんです! Mrsタルボット、まだご達者だろうか。連絡してみようか。 もし連絡取れたら、この続編にします。 千里の道も一歩より。 メルボルンの大学ではジャーナリズム専攻したけど、高校時代は留学中だってこの程度だった私。 もしあなたも、英語で恥ずかしいこともムカつくことも、踊りそうなくらい嬉しいことも書いてみたいなって思ったら、私のコーチングがピッタリかもしれません。良かったら、こちらから詳しい英語コーチング概要をどうぞ。    

そもそもどうして英語を話したいって思ったんだろう。

なぜ私は英語を話したいと思ったんだろう。 なぜ、日本人は英語が話せないとだめだ!みたいな強迫観念があるんだろう。 英語ができることがかっこいいと漠然とは思っていたけれど、それは学校英語の勉強に立ち向かうやる気には一向につながらず、他の多くの学生たちのように英語はただの教科として、「勉強しなければいけない面倒で大変な教科」に成り下がってしまった。 きっと英語に憧れている子供たちはたくさんいるのに、こうやってその神聖な興味を削ぎ取ってしまう、型にはまった学校の英語教授法って非常にもったいないと思う。NHKラジオもやろうとしたし(でも毎晩寝落ち)、単語もがんばろうとしたし、予習復習も必死でついていこうとした高校時代。何がうまくいかなかったか、いつも赤点だった。 きっと足りなかったのは、英語が話せたら何ができるのかという、実践の機会。 なぜ言語を学ぶかと考えてみると、その言語を使ってその言語を話すグループの人々と話をしてみることとか、テレビや本を見て何を言っているのかわかって、面白いと思ったり勉強になるなって思ったりすることが本来の動機だと思うのに、学校で学ぶ英語のその先に、実践の道が全然ない。 私が初めて英語でワクワクしたのは、青少年赤十字の世界合宿で様々な国の人々と2泊3日寝食を共にする機会があったとき。東南アジア、中東。南米、ヨーロッパ…様々な国の同じ年の学生たちと合宿して、赤点レベル英語でどうにか単語でつなげて話をして、話が通じ合った時のただ単純に楽しくてうれしい!という気持ちが今も忘れられない。 世界中の人たちと話すために、もっと英語が話せるようになりたい!と単純に思った。そして、毎日2時間も学校で英語習ってるのに、どうして少しも言いたいことが言えないんだ。ともどかしくも思った。言ってることが聞こえないのも悔しかった。 そして悶々としながら高校2年も終わり間近。 ある日いつもの放課後のミスド(ミスタードーナツ)で、大好きな友人に突然「留学してくる」と告げられた。 さみしいでも驚きでもなく、「私も行きたい!」とそれだけが強く私を突き動かして、「私もいく!」とその瞬間留学しようと決めた。そんな選択肢があったことに震えて、曇り空から光陰が射したように見えた。おそらく人生最速の大決心だったと思う。もちろん両親に相談したりとか、どうやって行くかとか、そういうことはやらなくてはならなかったけれど、(そして両親が賛成してくれたので叶ったのだけれど)その瞬間に迷いはゼロで私の心は既に日本を離れていた。 留学したいと思ったのは、英語ができるようになりたいから、では決してなかった。ただ、あの赤十字の世界合宿のときみたいにワクワクしたい!って思ったのだと今思い返すと良くわかる。もう究極を言ってしまえば英語はおまけみたいなものだ。 だから、もしあなたが英語ができるようになりたいと思っているなら、今一度立ち止まって「なぜ私は英語を勉強したいと思っているのか」と問いかけてみてください。 今まで生きてきた中で占める英語のポジションは、ポジティブかもしれないしネガティブかもしれないし、どちらもかもしれない。 そもそも、英語ができるようになりたい?もしかすると出来るようになりたいことは、英語じゃないかもしれない。 英語はただの1ステップかもしれない。 もしかしたら、「良く考えたら英語勉強する理由なんてないや」って気づいてしまうかもしれない。それはそれで良くて、潔く他のもっと大切なことに人生の時間を費やしてもいいと思う。 英語を人生の一部にしたいと思えたら、頑張って勉強すればいいだけのことなのです。 もうそしたら、人生の一部にしたいという理由さえ見つけられたら、あとはどんどんできるようになるだけではないかと思うのです。